冷熱のキオトのブログ

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自分がウルトラマンに求めるもの

前回のブレーザー1話感想記事でも述べたが、個人的にブレーザー1話は防衛隊の精緻な描写や斬新なウルトラマン像には感心した反面、ドラマ部分にあまり引き込まれなかった。その理由を自分の中で分析してみた。見ようによっては愚痴のように見えるかもしれないが、決してそういうものではなく、私としてはむしろ2話以降への期待も込めての思考を綴ったつもりである。

ブレーザー1話は要約すると「怪獣出現→人間たちが立ち向かうが追い詰められる→ウルトラマン登場して勝つ」というかなりウルトラマンとして王道の流れであった。しかし、逆に言うと「これだけ」の内容であり、1話の中の時間経過が短いのもあってか、起承転結の流れが弱いと感じてしまった。私は10年間ニュージェネウルトラマンを見てきたし、それ以前のシリーズにももちろん触れてきたが、初回でここまで作戦行動のビジュアル「のみ」に振り切ったものはなかったように思う。過去のシリーズでは、怪獣との戦い以外にも多様な展開があった。前作デッカーではトリガーの後日談、平和が壊し地球を閉ざすスフィアの脅威、そしてせんべい屋だった主人公が地球を守る志を持って訓練校に入学するといったドラマが描かれた。前の田口監督メインであるZでは異次元に幽閉されるゼロや地球人に珍妙な日本語でコミュニケーションを取ろうとするゼット、謎の寄生生物やメダルを拾う男などさまざまな要素が散りばめられていた。最初のウルトラマンでも、ウルトラマンとの出会いや科特隊はどういう組織かの説明、またウルトラマン命名といったシーンがあった。このように過去シリーズでは戦闘以外にもさまざまな要素を持った展開が盛り込まれ、起承転結の展開のうねりが大きかった。こう考えてみると、ブレーザー1話の怪獣との戦いのビジュアルに集約した話作りへの戸惑いと、過去に多種多様なドラマを見てきたからこその物足りなさから、私はブレーザー1話のドラマには引き込まれなかったのだろうと思う。

しかし、ブレーザー1話にあまりハマらなかったからと言って、2話以降視聴をやめるのかというと、答えはNOである。なにしろまだ1話である。1話を見ただけで、このシリーズはこうなんだと断定するのは気が早い。まだ予告で出ていたSKaRDもアースガロンも出てきていないのである。きっとここから隊員たちのドラマやアースガロンでどう怪獣に立ち向かうかをしっかり描いてくれるだろう。また数々の新怪獣、もしくはブレーザー自身ががどう人間社会に、人間生活に、そしてゲント隊長自身に影響を与えるのかといったドラマも気になる。そういうドラマ方面での期待もかなり持ってるし、田口監督も小柳さんもそういうものを描いてくれると信じている。

ブレーザー1話のドラマにあまり引き込まれなかった理由を長々と書いてしまった。とはいえ、こうして「自分がウルトラマンに求めるもの」を考えるいい機会になったという意味では、決して無駄な視聴体験ではなかったと言える。これを綴ってる段階でブレーザー1話のYouTube再生数は300万回を超えており、ぶっちぎりの数字である。これは同時吹き替え・1話丸々広告で流すことの効果や、斬新なウルトラマン像がウケたのもあると思われるが、ドラマについてもある種振り切った流れは初見の人にはすんなり入りやすいというのもあるだろう(もしかして制作側はそれも狙ったのか?)。良くも悪くも色々見ていた自分の独特な感覚を自覚できたという意味でも良かったかもしれない。